1988年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第02号

パラメトリックアレーを用いた超音波非線形パラメータCTによる生体組織性状診断に関する研究

研究責任者

菊地 眞

所属:防衛医科大学校 医用電子工学講座 教授

共同研究者

中川 正雄

所属:慶応義塾大学 理工学部 電気工学科  助教授

共同研究者

中川 義克

所属:慶応義塾大学 理工学部 電気工学科  大学院生

共同研究者

石川 哲

所属:慶応義塾大学 理工学部 電気工学科  大学院生

概要

1.まえがき
超音波による診断技術は近年格段の進歩を遂げている。特に音響インピーダンスの差異を映像化したバルスエコー法はその適用範囲の広さと実用性から医療診断に大きく貢献している。しかし本法は生体組織の幾何学的な形状や不連続性に関する情報の映像化にとどまり,定量性に乏しい弱点があり,さらに減衰などの影響も受けやすい。一方最近では,生体組織の器質的変化(例えば癌化など)を早期にかつ定量的に診断できる手法の確立が強く望まれており,いわゆる生体組織性状診断(Tissue Characterization ; TC)の研究として音速や減衰係数の変化に注目した方法が盛んに行われている。
本研究においては,超音波によるTCの為の新しい音響特性量として非線形パラメータに着目し,その基礎的特性を明らかにすることを目的とする。さらに超音波非線形パラメータCTの実現をめざし,その画像構成アルゴリズムを考案すると伴に基礎実験システムを試作して実用化への検討を行う。
非線形パラメータとは,超音波の振幅が有限である(無限小でない)場合の音波と媒質の非線形的なかかわり合いの大きさを表わすパラメータである。音波による媒質の変動は微小な動圧Pと静圧P。との差△Pとして,
で示される。ρoは静圧時の密度,Coは無限小振幅音波の伝播速度である。この時の係数AとBの比,すなわち
あるいは都合上,
が非線形パラメータと呼ばれる。
生体組織などの弾性媒質の非線形パラメータが示す物理的意味は,応力―ひずみ関係の二次接線弾性率と考えることができ,
(1)B/A>0ならば,硬化弾性物質
(2)B/A<0ならば,軟化弾性物質
を示す。特に非線形パラメータの値が物質中に含まれる結合水の量に敏感であることから,悪性腫瘍においては正常組織よりも非線形パラメータの値が小さくなるという報告がある1)。
生体組織の非線形パラメータ測定法としては,これまでにも有限振幅法2)3),熱力学法4),位相シフト法5)6)などが提案されているが,各々長所と短所があり未だ確立されていない。なお,これまでに報告された生体組織の非線形パラメータの代表的な値をまとめると表1のようになる。
本研究では前述した研究目的にのっとり,生体軟部組織の定量的な映像化法として,非線形パラメータ分布と従来から注目されている減衰係数分布の両者を同時に映像化する新しい超音波CT法について研究を行った。
2.研究方法
本法では二つの有限振幅超音波の重畳により差周波数音波が発生する現象を利用する。周波数の異なる二つの超音波(Wl,W2)を共軸で同一方向に放射すると非線形相互作用により各々の高調波成分に加えて,mWl±nW2(m,nは自然数)なる周波数をもつ2次波が発生する。この2次波のうち生体内で減衰の少ない差周波数(W1-W2)に注目する。観測される2次波は1次波の伝播過程において媒質の非線形パラメータおよび1次波の大きさに応じて重畳的に成長してきたものであり,この2次波を投影データとしてCTアルゴリズムを適用して非線形パラメータ分布像を再構成する。さらに非線形吸収を考慮しないですむ程度の低い音圧を用いれば,従来の超音波CTと同様に1次の投影データから減衰係数分布が再構成できる。従って本法を用いれば生体軟部組織において顕著な差異を示す二種の特性量の分布を同時に映像化できることになり9より精密な組織性状診断が可能になる。
2-1.非線形パラメータCTの原理
有限振幅音波の伝播は一次元波動の場合,Burgers方程式により記述される。減衰がない場合には1次波の伝播に伴って発生する2次波は第2近以として,
で表される。Vf,Vs,は各々1次波と2次波の粒子速度,Coは微小振幅時の音速,βは非線形パラメータ9τ=(t-x/co)である。1次波が二つの音波を重畳したものである時,1次波の粒子速度はVf=V。lsin(W1τ1)一←Vo2sin(W2τ)であり,2次波としてWrW2の差周波数成分のみに注目して(5)式を解くと,
となる。従って平面波の場合,差周波数成分の音圧振幅Ps(x)は,
で表される。P。1,P。2は初期音圧を示す。一方減衰がある場合は,
となるa)。d1,d2は各々1次波と2次波の減衰係数である。2次波として差周波数成分を用いれば1次波に比べて周波数が著しく低いのでその減衰は無視できることになる。
媒質が不均質で密度ρ(x),音速C(x),非線形パラメータβ(x)が各々分布をもつ場合,送波器からLの距離での差周波数の2次波の音圧Ps(L)は,
但し、
のようになる。ここで、
とすると、
βi(x)は非線形パラメータ分布9密度分布および音速分布の三つの特性量によりきまるものになるが,生体軟部組織では密度,音速の変化は小さく,結局Rz(x)は主に非線形パラメータ分布を反映するものと考えられる。
図1に非線形パラメータβiのCTの投影データ収集法を示す。各位置(μ,θ)において1次波の音圧P,(μ,θ),P2(μ,θ)と2次波の音圧P,(μ,θ)を受波する。図1の座標系で式(9)を書き直すと,
但し、
d1(x,y),d2(x,y)は1次波の減衰係数分布である。式(10)から明らかなように再構成される非線形パラメータ分布には減衰係数分布の影響が同時に含まれているので,
の形で補正する。式(10),(11)ではSingle Photon Emission CTにおける投影データと同様の形となるので,本法でもSPECTで提案されたMCM(Modified Correction Matrix)法7)で使用されている補正係数行列を用いることとした。図2は減衰補正のブロック図を示す。
1.1.1
2-2実験システムの試作
本研究ではまず図3に示すような実験システムを試作し,次いでCT画像を得るために図4(a)(b)に示すCTシステムを試作した。図3の実験システムでは,中心周波数5MHzの広帯城トランスデューサ(Panametrics社製V306,0.5インチφ)を用い,受波器には広帯域ハイドロフォン(Medisonics社MKII)を用いた。5MHzと6MHzの1次波は加算器で電気的に足し合わした後に増幅した電気信号をトランスデューサに入力した。送受波器問の距離は受波器がレーレー長内になるように160mmとした。受験対象としては水および音響インピーダンスが生体に近い媒質として1%重量濃度の寒天ゲルを用いた。
一方,CTシステムでは図4の試作装置を用い,投影データは36方向(5度ずつ)から35サンプル点(3mmずつ)を収集した。1次波としては5MHzと6MHzを用い,音圧は水中で非線形吸収が無視できる308mbarをもちいた。再構成アルゴリズムには,フィルタ補正逆投影法(Shepp & Logen's filer)を用い,再構成像は43×43画素9段階濃淡表示,1画素は2mm×2mmとした。なお,測定対象は図5に示す円筒状の2媒質ファントムである。
3.結果
3-1,均質媒質中の非線形パラメータ値の測定
式(8)において送受波器間の距離x,密度ρ。,音速CoおよびP1(x),P2(x)から測定される減衰係数d1,d2がわかれば非線形パラメータ値が推定できる。図6は実験結果の一例を示す。図より2次波の音圧は1次波の積に比例しており,このグラフの傾きから寒天ゲルの非線形パラメータ値を求めると表2のようになる。ただし,ここで示した非線形パラメータ値は水を3.50とした場合の相対値である。表2の結果より1%寒天ゲルの非線形パラメータ値は水の1.04倍であり,水分含有量が少ないほど非線形パラメータが大きくなるという報告と一致している。
3-2寒天ゲルファントムのCT像の測定
図7(a)(b)に各々5MHz,6MHzにおける減衰係数分布像を示す。6MHzの方が大きい減衰を示している。図8は2次波のデータをそのまま投影データとして再構成した非線形パラメータ分布像である。なお,この時の再構成値は寒天ゲルの値よりも小さく,寒天ゲルの部分での減衰の影響があるからと考えられる。図9は図2に示した方法にしたがい減衰を補正した非線形パラメータ分布像である。補正後の再構成値は寒天ゲルの部分が水の部分に比べて大きくなっており,減衰の影響がうまく補正されていることが判るb)。しかしながらファントム内部の寒天ゲルと水の境界付辺では画像の劣化が認められ,正確な再構成がなされていない。これは屈折や回折の影響により境界部分では1次波の投影データが正確に測定されていないことによるものと思われる。
4.結論および今後の問題
以上,本研究では二つの異なる周波数の有限振幅波を用い,媒質中の伝播に伴い重畳的に発生するひずみ成分(2次波)を投影データとして扱いCTアルゴリズムを適用することで非線形パラメータ分布像を再構成する新らしい映像法を考案した。さらに実験的検証を行った。CTアルゴリズムの適用にあたっては波の直進性を仮定したが,波動性の強い超音波ではX線とことなりこの仮定が必ずしも適当でない。すなわち音速に分布があると屈折率の違いにより音波が屈折し直進しないため,みかけ上の減衰を生じさせる。さらにX線と異なりビームに幅があるため屈折率に分布があると回折の影響を受け再構成像にアーチファクトが生じる。これらの問題を解決するための具体的方策の一つとしてDiffraction Tomographyを検討することも今後の課題となろう。この方法は図10に示すように被検体に平面波を入射し,その回折波を測定してフーリェ変換を施すことにより複素屈折率分布のフーリェ領域での分布を求め,さらにこれを逆フーリェ変換して実領域での複素屈折率分布像を再構成する方法である。
いずれにせよ,本研究の実施により生体軟部組織において顕著な差異を示す非線形パラメータと減衰係数の二種のパラメータを同時にしかも定量的に映像化できる新しい超音波CTシステムに関する基礎的見通しが得られた。本法は原理的に透過法であるため,現状では臨床的適用としては乳房の組織性状診断など透過法に適する部位への応用に限定されるが,今後超音波診断技術の性能を一段と拡大させることに多いに寄与するものと期待される。