2016年[ 中谷賞 ] : 年報第30号

バイオ分子の1分子デジタル計数技術の創成とその応用

研究責任者

野地 博行

所属:東京大学大学院 工学研究科 応用化学専攻 教授

概要

1.はじめに

生体試料分析の現場では常に分析手法の高感度化が求められている。これまで様々な分子マーカーが発見されてきたが、その発見の背景には生物学的研究のみならず、分析技術の向上に伴う高感度化が伴ってきた。今後も、分析技術の高感度化に伴いさらに新しい分子マーカーが次々と発掘されることが期待されている。

分析手法の検出感度をきめているのは、対象分子の絶対量ではなく、往々にしてその信号の密度であることが多い。すなわち、検出したい分子の総数が極めて少量の場合でも、その信号が時間的もしくは空間的に極めて局所化していれば背景ノイズと見分けて検出することが可能となる。例えば、酵素 1 分子の活性を反応生成物の濃度上昇から計測する場合、通常の試験管サイズでは反応生成物の濃度が低すぎて検出出来ないが、これをバクテリアと同程度のサイズの試験管に閉じ込めれば信号が空間的に局所化し(濃度が上がり) 検出が容易になるはずである(1)。

我々はそのようなアイデアに基づき、大きさ数ミクロン、体積数フェムトリットル(1 フェムトリットルは 10-15ℓ)の溶液チャンバーアレイを開発した。

(注:図1/PDFに記載)
図 1.通常のバイオアッセイ(アナログ)とデジタルアッセイの比較。アナログアッセイでは試験管全体の平均値の値を計測する。一方、デジタルアッセイでは、微小リアクタ毎に信号計測を行い、信号を二値化する。

 

この中に、反応に伴い蛍光を発するフルオジェニック基質とともに酵素分子を閉じ込めると、蛍光信号から酵素活性を計測することができる。酵素濃度を1 チャンバ−あたり0.1 分子以下にして計測を行った場合、殆どのチャンバーは空で信号を示さないが、ごく一部のチャンバーが明瞭な蛍光信号を発している様子が確認出来た。さらに酵素濃度を下げると、蛍光性チャンバーの数は減少するが、蛍光性チャンバーの蛍光強度そのものは不変であることが確認された(2)。この結果から、体積をミクロンサイズにするだけで 1 分子酵素アッセイが可能であることが実証された。また、蛍光強度に閾値をもうけ、それ以上の蛍光信号を発するチャンバーを数え上げるだけで酵素濃度を精度よく定量できることも示され、これを 1 分子デジタル計数法と名付けた。その後、このデバイスは分子モーターF1-ATPase の逆回転時の ATP 合成反応計測にも利用されている(3)。

その後、我々はチャンバーを作成するデバイスをさらに改良した上で(4)、酵素の1分子デジタル計数法を拡張し、免疫抗体反応に応用することで

1 分子 ELISA 法の確立に成功した(5)。1 分子ELISA 法では、使用する試薬は通常の ELISA と同じであるにもかかわらず、デバイスを用いるだけで 100 万倍の高感度化を達成した。これによって、応用性の高い超高感度 ELISA 法を開発することに成功した。しかし、1 分子 ELISA の検出感度は、デジタル計数法の理論値よりもはるかに悪い。これは、免疫抗体反応によく見られる抗体の非特異的吸着による。

そこで、本研究では 1 分子デジタル ELISA のボトルネックとなっている非特異的吸着を回避もしくは解決する 2 つの手法開発に取り組んだ。

1 つ目の取り組みは、2 種類の酵素を用いたデジタルアッセイ法である。2 つ目は、ウイルス自身の酵素活性を測定するウイルス 1 粒子デジタルアッセイである。前者は、2 種類の抗体でウイルスを標識するため、非特異的吸着との識別性の改善が期待される。また、後者は、酵素活性をもつウイルスに限定された手法であるが、本質的に非特異的信号が全く無い手法となり得る。

 

2.2 種類の酵素同時デジタルアッセイ

現況のデジタル ELISA の感度は、実質的に標識抗体の非特異的吸着によるノイズによって決まっている。我々は、真の信号と非特異的吸着による信号を区別するためには、それぞれ異なる酵素で標識された 2 種類の抗体を用いれば良いと考

えた。この場合、真の信号はそれぞれの酵素が産出する 2 色の蛍光を発するリアクタ数となる。酵素標識抗体はそれぞれ非特異的吸着を起こすが、それが同時に同じリアクタ中で信号を発する確立は、それぞれの非特異的吸着の確率の積となるため、ノイズは 1 色の場合と比較して劇的に改善する。しかし、これまで2種類の酵素のデジタルアッセイの報告例は無い。そこで、我々はモデル反応としてこれまでデジタルバイオアッセイで用いてきた β ガラクトシダーゼに加えて、通常の ELISA で汎用されているアルカリフォスファターゼ(ALP)のデジタルアッセイを同時に行った。それぞれ至適 pH、イオン強度、バッファー組成が大きくことなるため、最適な溶液組成とリアクタ体積を検討した結果、図のように良好な 2 色のデジタル酵素アッセイに成功した。それぞれの酵素活性が検出されるリアクタ数は理論値と一致しており、今後マルチカラーのデジタルELISA の実現が期待される。

(注:図2/PDFに記載)
図 2.β ガラクトシダーゼと ALP の同時 1 分子デジタルアッセイ。緑が β ガラクトシダーゼ、赤が ALP 酵素1 分子に由来する信号。オレンジのリアクタは2 種類の酵素を同時に封入したリアクタを示す。

 

3.ウイルスのデジタルアッセイ

インフルエンザ等のキャプシッド表面には、ノイラミニダーゼ等の酵素活性を持つ構造タンパ ク質が存在する。この酵素活性を指標にすること で、通常のデジタル ELISA などで問題なる非特異的信号のないデジタルアッセイができると考 え、インフルエンザのデジタルアッセイを行った。ここでは市販の蛍光アッセイ用の基質とインフルエンザ試料を混合し、デジタル ELISA で用いるマイクロチャンバーアレイに封入した。反応条件等を検討した結果、図 2 のような計測が可能となり、インフルエンザ粒子のデジタル計測が可能であることを確認した。興味深いことに、インフルエンザの PFU(感染性粒子数)から予想する数より 20-50 倍程度多い数が検出された。これは、インフルエンザ粒子のうち数-5%程度だけが感染能を持つことを意味する。

(注:図3/PDFに記載)

図 3.インフルエンザのノイラミニダーゼ活性を利用したデジタルアッセイの蛍光像。各輝点が1 粒子のインフルエンザによる反応。酵素と異なり、各粒子で活性の強度が異なることが分かる。

 

4.まとめ

本研究では、これまでのデジタル ELISA の問題である非特異的信号を改善するために2つのアプローチを検討した。マルチカラー化では、初めて 2 種類の酵素を用いた 2 色のデジタルアッセイに成功した。また、ウイルスのデジタルアッセイではウイルス自体の酵素化生を用いた新しい安生に成功した。いずれも、デジタル ELISA の非特異的吸着によるノイズ問題を解消するものである。