2013年[ 中谷賞 ] : 年報第27号

トランジスタによる非破壊細胞診断法の開発と”デバイス長フリー”な信号変換機序の実証

研究責任者

松元 亮

所属:東京医科歯科大学 生体材料工学研究所 医療デバイス部門 バイオエレクトロニクス分野

概要

1.はじめに
今日、様々な生体分子の測定法が知られるが、一般に、簡便性・経済性の観点からは、検出対象に対する標識(ラベリング)プロセスを省ける方式が望ましい。そのような「非標識」な検出法の一例として、電界効果トランジスタ(Field Effect Transistor:FET)原理を応用したバイオトランジスタが注目されている。これは、薄い絶縁膜上に捉えた分子の固有電荷をトランジスタの特性と同期させて検出するものであり(図1)、リアルタイム計測であること、レーザーや光学系が不要なため安価で小型化に有利であること、また半導体加工技術による高密度・並列化が容易に行えるなど多くの利点を有するものである。バイオトランジスタによる検出の対象は、時代とともに、イオン、タンパク、核酸、細胞へと発展し、今日では、並列型の薬理評価プラットフォームの構築を指向した細胞の代謝活性評価や(起電性細胞の)活動電位測定などの基礎研究が特に活発に行われている。本研究では、細胞そのものの機能解析を目的とし、がんや糖尿病などの診断に直結するターゲットとして糖鎖シアル酸を特異的に計測する「糖鎖トランジスタ」を開発した。これは、合成分子であるフェニルボロン酸とシアル酸の相互作用を巧みに利用した世界初の電位計測方式による糖鎖解析技術であり、従来法では多段階かつ細胞致死的な酵素反応、非定量的な組織学的評価、標識操作などが不可避であったが、これらすべてを省いたリアルタイム計測を実現した。また、バイオトランジスタ原理の最大の欠点である「デバイ長に起因した検出距離制限」の克服のため、「ソフトマテリアル」とバイオトランジスタと融合した独自の解決策を導いた。これによる新規な信号変換機序を理論・実験の両面から明らかとし、さらにそれを応用したユニークな検出原理を創出するに至った。
2.研究の背景と意義
2.1バイオトランジスタの歴史
1970年代初頭に絶縁ゲート電界効果トランジスタを水溶液中に浸漬してイオン濃度測定に応用する試みが報告されて以来(これはIon-sensitive FET:ISFETと呼ばれ、pH測定用センサとして既に実用化されている)[1]、固定化酵素と組み合わせた「酵素FET」[2-4]、抗原一抗体反応と組み合わせた「免疫FET」[5]、DNAを解析する「遺伝子FET」[612]などへの展開を見せている。バイオトランジスタのうちのいくつかは既に生命科学の分野で実用化が進んでいる。近年の例では、トランジスタ原理によるDNA配列解析装置(シーケンサー)が、この分野のリーディング企業であるライフテクノロジー社(米国)より2011年に上市された。従来、DNAの塩基配列解析は蛍光や生物発光を用いた光学的検出法が主流であったが、今後はこのような電気的手法が普及することが予想される。同様に、細胞の代謝活性または起電性細胞の活動電位を計測することによる薬理活性評価系(細胞FET)構築の研究も盛んである。ただし、従来の「細胞FET」の試みでは、「細胞の代謝の結果生じるpH変化」や「(起電性)細胞応答の最終状態である活動電位変化」といった時空間的に"intact"でない派生情報の取得に主眼が置かれてきた。これに対して、本研究では、真に時空間分解能を持ち、生物学的意義にも富む情報取得のアプローチとして、細胞の糖鎖を検出する「糖鎖FET」を着想した。
2.2シアル酸定量の臨床的意義とその現状
糖鎖は、細胞間相互作用に深く関わり、その構造変化は、発生や分化などの正常な細胞現象から疾病に至る様々な「細胞の状態」と同期して起こることから、しばしば「細胞の顔」とも形容される。例えば、腫瘍マーカーに代表されるバイオマーカーの多くは糖鎖である。なかでも、シアル酸は、糖鎖中に最も高頻度かつ糖鎖末端に多く存在する分子であり、その密度や分布は、細胞の疾病(癌、転移、糖尿病、自己免疫病)、発生、分化など、様々な細胞現象と関連して変化することが知られている。[1315]例えば、がん細胞または高転移性の癌細胞表面においては、正常細胞と比較してほぼ普遍的にシアル酸が過剰発現する。[1618L方、インスリン依存型糖尿病(IDDM)患者の赤血球表面のシアル酸発現は逆に減少することが報告されている。[1921]したがって、細胞表面のシアル酸量を簡便に定量する技術が確立されれば、術中・術後診断を含む細胞診断ツールとしての活用が視野に入る。今日、シアル酸定量のための様々なキットが市販されているが、これらは例外なく多段階の酵素反応に加え、蛍光などの標識操作を伴うものであり、非常に高価であるうえに判定までに1日程度を要する。さらには、酵素や強酸処理によって糖鎖中のシアル酸を単体に遊離させる前処理が必要であり、細胞にとっては完全に致死的な操作となり、臨床の場において実用的な細胞診断法を提供するものとは言い難い。
2.3FET法の課題~デバイ長に起因した検出距離限界~
一方、FET法の最大の弱点に、「電荷変化の検出可能な領域がゲート表面の近傍に制限される」という性質が挙げられる。例えば、免疫FETにおける抗原・抗体のような巨大分子、また、遺伝子FETにおいても40塩基を超える比較的長鎖のものを対象とする場合には、その定量性が著しく低下する。これには溶液/ゲート絶縁膜界面の電気二重層の厚み(デバイ長)が関係している。抗体分子の典型的な大きさは約10nmであるのに対し、生理的塩濃度溶液中でのデバイ長は約lnmである。したがって、抗体をゲート絶縁膜表面に固定化した場合、溶液中の抗原は電気二重層の外で抗体と結合することとなり、その結果、抗原の電荷は対イオンにより遮蔽され、電界効果による検出が原理的に困難となってしまう。そこで、本研究では「スマートゲル」と呼ばれる刺激応答性の高分子ゲルをFETゲート上へ化学修飾し、これを信号変換層とすることで、上述のデバイ長による検出距離の制限を取り除く検出法を開発した。これにより、FET法に依拠しながらも(従来のFET法では不可能な)電気的に中性な分子でも検出可能となることを実証した。スマートゲルには、抗原・抗体反応、癌腫瘍マーカーなどを特異的に認識するものが多数報告されており、本法の適用は、従来のFET原理の適用範囲を大幅に拡張する可能性を秘めている。
3.実験方法
3.1シアル酸認識トランジスタの作製
金スパッタ薄膜基板を作成し、ここへ10-carboxy-1-decanethiolによる自己組織化単分子膜(SAM)を形成し、続いてこのカルポキシル基末端に3-acrylamidophenylboronic acidを導入したものを「シアル酸認識」FETエクステンドゲートとして用いた。SAM膜は、金基板表面をプラズマ洗浄し、これを10mMの10-carboxy-1-decanethiolエタノール溶液中に一晩浸すことにより形成した。続いて、1-ethyl-3-(3-dimethylaminopropyl) carbodiimide hydrochlorideのDMF溶液中(10mM)に1時間浸してSAM表面のカルポキシル基を活1生化し、ここへ3-aminophenylboronic acidの20mM混合溶媒(lMNaOH/DMF-1:1)溶液を加えることでフェニルボロン酸基の導入を行った(室温、24時間)。形成した電極表面のSAM膜およびフェニルボロン酸分子層の密度、膜厚、表面モーフォロジーの評価を、それぞれ水晶振動子微量天秤法(QCM)、エリプソメトリー、SEM観察により行った。作成したゲート上に種々の単糖、ウサギ赤血球(未処理およびシアリダーゼ処理)、セルストレイナーにより濾過・分散させた肺組織(細胞)などを種々の濃度で添加し、その際に生ずるゲートしきい値電圧(VT)変化をリアルタイムFET計測装置により観測した。これらの評価と平行して、細胞表面のシアル酸の定量、ならびに肺組織の組織学的評価を市販のキットを用いて行った。
3.2ボロン酸ゲルによるFETゲート修飾
BAS社製ISFETを酸素プラズマ洗浄(300W/90s/酸素圧:200Pa)したのち、これを2wt%の3-(methoxylsilyl)Propylmethacrylateを含むエタノール溶液中に室温で一晩静置した。
エタノールで洗浄後、120℃で2h乾燥させることでゲートを構成するTa205表面におけるシランカップリング反応を行なった。ゲルの反応溶液はN-ispropylacrylamide(4.4M),3-acrylamidopheny-lboronic acid(O.5M), N, N'-methylenebisacrylamide(0.IM)および2,2'-dimethoxy-2-phenylacetophenone(0.25M)をエタノールに溶液することで調製した。ゲートとその上に置いたカバーガラスとの間隙(およそ50?m)に上記反応溶液を導入し、カバーガラスの上から5分間UV照射することにより共有結合的にゲルを修飾した。反応後、カバーガラスを慎重にはがし、エタノールおよび水で洗浄した。
4.結果と考察
4.1糖鎖シアル酸認識トランジスタを利用した非破壊細胞診断法の開発
シアル酸を特異的に認識させる分子としてフェニルボロン酸(PBA)に着目した。PBAは、多くの糖分子に共通した構造である1,2一または1,3一ジオール基を有する化合物と可逆的に共有結合する。[22-24]通常は解離した形態のPBAのみが安定な結合を呈し、非解離型のものは水中で容易に加水分解を受ける。ところが、シアル酸分子に限っては、非解離形態との間でも安定な結合能を有することが最近になって報告された。[25-28]このことは、PBAのpKaを制御することでシアル酸に選択的な結合をもたらすこと意味しており、果たして、(その構造とpKaを最適化することで)生理的な環境下でシアル酸の有するカルポキシル基の負電荷を特異的に捉えられることが確認された。PBAのゲート表面への導入は、延長ゲートとして金スパッタ薄膜電極を用い、ここへ末端をPBA修飾したアルカンチオール分子による自己組織化膜(self-assembled monolayer:SAM)を形成させることで行った。上述のように、生理的な塩濃度下でのデバイ長はlnm程度であるが、細胞糖鎖上のシアル酸は糖鎖末端部に集中する分子であることに加え、疾病に関連した過剰発現においては、末端部における高分子(ポリシアル)化の形式をとるため、シアル酸発現量の変化を捉えるうえでは有利な構造となる。実際に、「シアル酸認識トランジスタ」を用いて、細胞表面糖鎖中のシアル酸を遊離せずに直接に検知できるかを調べるため、まず、ウサギ赤血球を用いた評価を行った。赤血球表面のシアル酸発現量変化は1型糖尿病と関連しているため、このように簡便に行える赤血球表面のシアル酸定量法は、糖尿病診断の目的において重要である。その結果、あらかじめ正常な細胞についての濃度一しきい値電圧プロファイルを得ておけば、以後、既知の濃度の赤血球をゲート上に播種するだけで、そのシアル酸発現量をリアルタイムに求められることが確認された(図2)。[29]さらに同様の方法を、マウス黒色腫を肺に転移させた組織についての転移度評価に適用し、これを定量的に評価(数値化)できることを明らかとした(図2)。[30]これらの成果は、世界初の「電極によるがん(または糖尿病)診断法」として、化学専門誌の最高峰であるAngewandte Chemistry Intemational EditionにおいてHot paperに採択されるとともに、wiley社より報道発表されるに至った。今日の術中・術後の腫瘍悪性度検査は(定量的とは言い難い)組織学的な手法に依拠して行われるのに対し、診断情報をリアルタイムにかつ客観的数値として与える本法の革新性が評価されたものである。
4.2スマートゲルを利用した"デバイ長フリー"なバイオトランジスタの開発
2.3項で述べたように、FET法の最大の課題は「デバイ長に起因した検出距離の制限」であった。スマートゲルを使用した"デバイ長フリー"な検出の原理証明として、我々がこれまでに別の目的で開発してきたフェニルボロン酸含有型グルコース応答性ゲル(NB10ゲル)を利用した。[31-36]水中において解離したフェニルボロン酸基化合物はグルコースとの可逆的なコンプレックス形成能を有する。このため、周囲のグルコース濃度変化によりフェニルボロン酸基のみかけの解離平衡シフトがもたらされる。これを体積相転移性の高分子ゲルネットワークに組み込み、グルコース濃度を変化させると、高分子ゲル内のイオン浸透圧変化に同期した可逆的な体積相転移が引き起こされる。ゲート上に導入したNB10ゲルの厚みは、デバイ長に比べて4桁程度も大きい50μm程度であったが、その体積変化と同期して、グルコースの濃度を定量的かつ可逆的にFETのしきい値電圧変化として捉えられることが確認された。[37]NB10ゲルのような親水性アクリルアミドゲルの重量は殆どが水によるものであるため、その膨潤度の変化は含水量の変化とほぼ同義とみなせる。ここで、水の比誘電率はおよそ80であるのに対し、凝縮(収縮)状態の高分子鎖のそれはおよそ2-3と著しく小さなものである。したがって、NB10ゲル修飾ゲートFETにおける信号変換機序としては、ゲルマトリックス中への水流入による見かけの誘組織化膜(self-assembledmonolayer:SAM)を形成させることで行った。上述のように、生理的な塩濃度下でのデバイ長はlnm程度であるが、細胞糖鎖上のシアル酸は糖鎖末端部に集中する分子であることに加え、疾病に関連した過剰発現においては、末端部における高分子(ポリシアル)化の形式をとるため、シアル酸発現量の変化を捉えるうえでは有利な構造となる。実際に、「シアル酸認識トランジスタ」を用いて、細胞表面糖鎖中のシアル酸を遊離せずに直接に検知できるかを調べるため、まず、ウサギ赤血球を用いた評価を行った。赤血球表面のシアル酸発現量変化は1型糖尿病と関連しているため、このように簡便に行える赤血球表面のシアル酸定量法は、糖尿病診断の目的において重要である。その結果、あらかじめ正常な細胞についての濃度一しきい値電圧プロファイルを得ておけば、以後、既知の濃度の赤血球をゲート上に播種するだけで、そのシアル酸発現量をリアルタイムに求められることが確認された(図2)。[29]さらに同様の方法を、マウス黒色腫を肺に転移させた組織についての転移度評価に適用し、これを定量的に評価(数値化)できることを明らかとした(図2)。[30]これらの成果は、世電率変化が重要な役割を担うものと考えられ、事実、体積相転移前後での電気容量測定から、その比誘電率が十倍以上変化することが確かめられた。このような見かけの誘電率変化によるFETのしきい値電圧変化に対する寄与は、FETの動作関数から定性的に説明することができた。以上のように、ゲート上に導入された高分子ゲルが検出対象の分子と反応して体積相転移を引き起こすことで、ゲル中の誘電率変化(含水率変化に起因する)が誘起され、これが幾何学に伝搬することで、デバイ長に依存しない(大分子の検出も可能な)新しいバイオトランジスタの原理を創出した(図3)。これは、誘電率変化を検出パラメータとして加えることで、電荷を有する分子のみならず、電荷を持たない分子にも有効なため、従来の適用範囲を拡張する点において画期的である。また、スマートゲルを修飾したFETは、見方を変えると、「電荷」と「誘電率」の二つの信号に対する二重応答性を備えており、その後の研究で、これを利用したケモメカニカル(化学一力学変換)システムにおける素反応の可視化デバイスの実証にも成功している(図3)。[38]
5.まとめ
本研究では、世界初の電位計測方式による糖鎖解析法を実証し、従来法を凌駕するがん・糖尿病診断法を開発した。「ソフトマテリアル」を利用した新規な信号変換機序を実証し、トランジスタによる検出対象を大幅に拡張する道筋を提示した。半導体産業の分野では、"ムーアの経験法則(Moore's Law)"によるトランジスタ微細化の限界が指摘され、微細化の極限追求の研究と並行して多様化を指向した研究もおこなわれるようになってきた。その多様化の一・つの方向として半導体デバイスとバイオとの融合が検討されている。バイオトランジスタはその一・つの担い手として注目されており、半導体製造大国である台湾においても国家レベルでの投資が始まっている。本研究の成果は、既に実用化されたイオン応答FET、市場投入が始まったばかりのDNA計測FETに続く、次世代のバイオトランジスタと位置づけられる「細胞FET」のさらなる発展の契機を与えるものと期待される。