2015年[ 科学教育振興助成 ] 成果報告

ゼロハンカー製作を通した学びの実践と技能の伝承

実施担当者

上村 雄二

所属:三重県立津工業高等学校 教諭

概要

1.はじめに
 ゼロハンカーとは、自作のフレームに50ccエンジンを搭載して、ダート走行可能なサスペンションを備えている車両である。車両は、機械研究部に所属する生徒たちがクラブ活動として製作した。フレームや駆動軸関係などエンジン、タイヤホイール以外のほとんどの部分を製作した。溶接や旋盤などの機械加工、自動車の基礎的な構造、ものづくりの楽しさ、仲間との協調性の大切さなどを体験できる取り組みである。


2.期待される効果
・より実践に近いものづくりを通し、本当のものづくりの楽しさを生徒が実感できる。
・部活動の仲間たちとのコミュニケーションや連携することの大切さを学ぶことができる。
・生徒の思考力、創造力を深めるとともに、技術、技能を高めることができる。


3.活動内容 以下の計画で実施した。
4月 計画
5月 設計
6月~11月 製作
12月 走行テスト
競技会参加(倉敷市)
2月 競技会参加(府中市)
3月 反省、まとめ

3.1 計画(4月)
 車両の製作にあたり次の項目に配慮した。
・設計図を描くこと。
生徒作品ではあるが、実際の企業のものづくりと同じ工程をたどることに注力した。現物合わせが必要な部分については、製作後に設計図に反映させた。
・校内の工場で生徒自ら加工できること。
日常の授業実習で学んだ技能を生かした加工方法を選択した。すべて自分たちの手によるものづくりを実現する。

3.2 設計(5月)
 CADにより設計図を作成した。
 CADは、パソコンを用いたものづくりの現場で使用される設計ツールである。

3.3 製作(6~11月)
 車両の製作には、主に直径16mmの丸パイプを使用した。丸パイプは切断、曲げ、機械加工、溶接、組立て等の工程を経て車両となる。使用する工作機械は、旋盤、フライス盤、ボール盤、パイプベンダー、ガス溶断機、MIG溶接機、TIG溶接機など多岐にわたる。さらに、加工だけでなくエンジン整備や電気配線に至るまで行う。
 製作の目的は、生徒の技能向上のみでなく、技能を上級生より下級生に伝える技能伝承の実現である。生徒たちは、スケジュールや車両規定、車両性能に則して車両を製作する。これらの制約を満たすためには作業速度と加工精度の向上が両立する技能が必要である。

3.4 走行テスト(12月)
 走行テストは、地元企業所有の空地にて実施した。本校が住宅地にあるため、騒音への配慮と安全性の確保の両面からである。
 走行テストは、連日放課後に持ち込み行った。
2時間程度の走行であったが、必ずと言えるほど毎日不具合が発生した。帰校後即日、対策を施し、翌日の走行テストに臨んだ。そのため、帰宅は連日22時となり、寒い中、追い込みの日が続いた。
 対策の内容は、設計図へと反映させ、次期設計へと繋げるように心掛けた。

3.5 競技会参加
3.5.1 第13回全日本高等学校
ゼロハンカー大会(岡山県倉敷市)
 12月20日に岡山県倉敷市で行われ、岡山を始め、三重、広島、香川、鹿児島など9県22校から過去最多の46台が出場した。1周約800mのコースでタイムを競う予選を勝ち抜いた10台が決勝へと進出する。本校は、1台が予選順位7位で決勝へ勝ち進み、総合5位入賞を勝ち取ることができた。しかし、目標である表彰台(上位3位)には一歩届かなかった。
 競技会前日に現地で行われた練習走行では、1台のサスペンション部品が割れてしまい走行不能となった。急遽、近隣のホームセンターで購入した鋼材と持ち合わせの工具のみで知恵を出し合いながら夜間に修理作業にあたった。結果、この車両が5位入賞となった。

3.5.2 第7回全日本EV&ゼロハンカーレース(広島県府中市)
 2月21日に広島県府中市で行われた大会へ参加した。今大会の参加は学生に限らず、一般からの出場もありレベルの高い大会である。
 競技会では、タイムアタックを勝ち抜いた上位18台により予選レースが行われる。さらに予選レースを勝ち抜いた最終8台により決勝レースが行われる。
 本校は、持ち込んだ4台の中で1台だけが決勝レースへと勝ち進んだ。しかし、決勝レースでは、他車との接触により順位を落とし、順位争いから退いた。接触の際に駆動部を大破したが、なんとか規定の周回数を完走することができ、結果総合7位となった。


4.まとめ
 この取り組みでは、生徒たちが年間2回の競技会への参加を目指し、ものづくりを行ってきた。その結果、予定通り競技会への参加を果たした。ものづくりの過程では、期待した効果が十分に得られた。
 さらに、私が印象に残っているのは夜遅くまで黙々と作業に打ち込む生徒たちの姿である。活動は強制するものではなかったが、誰も休むことなく全員が分担し合い取組めた。部員同士の枠を超え、苦楽を共にする強い仲間意識が芽生えている。