2001年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第15号

カルシウム依存性蛋白分解酵素活性とカルシウム濃度の細胞内同時測定システムの開発

研究責任者

楠岡 英雄

所属:国立大阪病院 臨床研究部 部長

共同研究者

松村 泰志

所属:大阪大学医学部附属病院 医療情報部 助教授

共同研究者

佐伯 英次郎

所属:大阪大学医学部附属病院 医療情報部 大学院生

共同研究者

大江 洋介

所属:国立大阪病院 臨床研究部 医師

概要

1.はじめに
心不全は、心筋機能障害の終末的病像で、近年、その頻度は増大しつつあり、臨床上、大きな問題となりつつある。心不全に対する新たな治療手段の開発は焦眉の問題であるが、心不全の増悪化過程については未解明の部分も多く、根本的な治療法の開発には至っていない。近年、カルシウム依存性に活性化される蛋白分解酵素、カルパイン(calpain)が心不全の発生・進展に関与することが指摘され、特に、虚血後の再灌流障害においてその関与が明らかにされている。例えば、虚血再灌流によって心筋細胞内のトロポニン11)、スペクトリン2)3)、α一アクチニン3)、デスミン3)等の構造蛋白が変化を受けること、これらの構造蛋白の変化は低カルシウム再灌流により抑制されること3)、スペクトリン、α一アクチニン、デスミンの変化はカルパインに比較的特異性の高い阻害剤の投与によって抑制されること3)などから、カルパインがこれら構造蛋白の変化に介在している可能性が示唆されている。しかし、カルパインの生理的・病態生理的意義には不明な点も多く、その原因に、細胞内での活性の測定系が確立されていないことが挙げられる。例えば、心筋細胞内のカルシウム濃度は拡張期で数十nM、収縮期で1μM程度であるのに対し、in vitroで報告されているカルパイン活性化に必要なカルシウム濃度は10μM前後と心筋細胞内に比し極めて高値である4)。また、細胞内にはカルパインの内因性阻害蛋白であるカルパスタチン(calpastatin)が十分量存在し5}、心筋可溶性分画ではカルパスタチンを除かなければカルパイン活性は測定できないとされている。したがって、カルパイン活性とカルシウム濃度の両者を、同時に、細胞内で測定するシステムが開発されれば、病態における細胞内カルパイン活性の変化とカルシウム濃度との関連が明らかとなり、ひいては、カルパインの制御による心不全治療薬の創生にも役立つものと考えられる。
最近、カルパインの活性測定用試薬として、t-butoxycarbonyl-Leu-Met-7-amino-4chlorimethylcoumarin(Boc-Leu-Met-CMAC)が開発され、これを用いた肝細胞における細胞内カルパイン活性の計測6)等が行われている。Boc-Leu-Met-CMACは、細胞膜を透過し、チオール化して細胞内に留まる。Boc-Leu-Met-CMAC自身は蛍光を発しないが、カルパインによりメチオニンとの結合が切断されMAC-thiolとなると強い蛍光を発する。この蛍光を測定することにより、カルパインの活性化を計ることが可能となる。
本研究では、カルパイン活性蛍光指示薬(Boc-Leu-Met-CMAC)とカルシウム蛍光指示薬を同時に細胞内に導入し、カルパイン活性とカルシウム濃度の両者を、同時に、細胞内で測定するシステムの開発を目的とした。
2.方法
2-1.カルパイン活性、カルシウム濃度の測定
カルパイン活性の測定は、カルパイン活性蛍光指示薬(Boc-Leu-Met-CMAC)を細胞内に負荷し、行った。細胞内カルシウム濃度の測定は、通常のカルシウム指示蛍光色素を用いた。すなわち、細胞膜透過性のある、色素のアセトキシメチル体を細胞に負荷し、細胞内での脱アセチル化により膜透過1生のない色素を遊離させた。カルシウム指示蛍光色素には、2波長で励起し、蛍光を1波長で測定する型、1波長で励起し、2波長で測定する型、1波長で励起し、1波長で測定する型の3型がある。前2者は2波長による蛍光強度の比を用い、カルシウム濃度の絶対的計測が可能であるが、最後の型は、カルシウム濃度の相対的変化しか求められない。後に述べる測定系の制約から、カルパイン活性との同時計測においては、カルシウム濃度測定には、励起1波長、計測1波長分しか割り当てられないため、相対計測のみが可能であった。しかし、Boc-Leu-Met-CMACと2波長励起・1波長計測型の色素の1種(フラ2;fura2)には光学特性に類似性があるため、Boc-Leu-Met.CMACの代わりにフラ2を細胞内に負荷することにより、1波長励起・1波長測定型の色素(フラレッド;furared)の較正を行い、これにより相対計測値からカルシウム濃度の絶対値を推定した。
2-2.測定システム
測定システムの主要部は、倒立型蛍光顕微鏡(ニコン社製)と分光光度計(SPEX Industries, Inc. NJ,USA)より成る。その概略を図1に示す。
ハロゲンランプを光源とし、単波長光(360nm、430nm)をフィルターにより取り出し、4秒ごとに切り替えた。これを、光ファイバーにより、倒立顕微鏡に導き、ステージに置いた、蛍光色素などを負荷した単離心筋細胞に1秒間照射した。蛍光は、対物レンズより集光し、430nmのダイクロイックミラー(DM1)を透過した光を510nmのダイクロイックミラー(DM2)により分離した。透過光は520-560nmでフィルター後(fl)フォトマルチプライヤー(PM-1)で計測し、反射光は465-495nmでフィルター後(f2)、フォトマルチプライヤー(PM-2)で計測した。
位相差顕微鏡で観測する細胞を一つを選び、これをスリットで囲みこの細胞から発生する蛍光のみを計測した。色素を導入していない細胞自体の蛍光をこの系で計測したところ無視しうる程であった。そこで対象とする細胞の周囲の蛍光を同じスリットを通して計測し、この値をバックグラウンドとした。
2-3.実験プロトコール
モルモット心臓より単離した心筋細胞に、カルシウム指示薬であるフラレッド(Molecular Probes Inc, Oregon, USA)、または、カルパイン指示薬(Boc-Leu-Met-CMAC)を導入した。フラレッドとBoc-Leu-Met-CMACの同時導入では、まずフラレッドを細胞に導入した後、Boc-Leu-Met-Cを導入した。
蛍光色素を導入した細胞は、蛍光強度が安定するまで通常の灌流液にて灌流後、細胞内Ca濃度を上昇させるために、液中のナトリウムをコリンで置換した灌流液(Na free液)で灌流した。このプロトコールに従って、フラレッドのみを導入した細胞、Boc-Leu-Met-CMACのみを導入した細胞、両者を導入した細胞の蛍光を経時的に測定した。
3.結果
心筋細胞にフラレッドのみを取り込ませた場合、430nmで励起して発生した蛍光のPM-1での計測値は、灌流液をNa free液に置換後1350秒後から上昇を開始し、さらに1403秒後ピークとなった。この時の想定値は対照時の139%であった。一方、360nmで励起して発生した蛍光のPM-2での計測値は、430nmによる蛍光がピークの時でも対照時の105%に留まっていた。
Boc-Leu-Met-CMACのみを取り込ませた細胞では、灌流液置換後、PM-2で計測された信号は、置換後947秒から上昇を開始し、さらに592秒後ピークとなった。この時の増加は対照時の116%であった。即ち、Boc-Leu-Met-CMACの蛍光は対照時ではほとんど変化せず、細胞内カルシウム濃度が上昇したと思われる時期から急速に増大する事が明らかになった。一方、PM-1で計測された蛍光は、他方のピーク時においても対照時の99%であった。
フラレッドとBoc-Leu-Met-CMACの両者を導入した心筋細胞においては、灌流液置換後しばらく双方の蛍光は一定であったが、772秒後に細胞内カルシウム濃度が上昇を開始し、その160秒後、細胞内カルパイン活性の上昇が認められた。一方、2波長型カルシウム指示薬であるフラ2とフラレッドを導入した単離心筋細胞にて、低カルシウム状態、高カルシウム状態を作成し、その際の蛍光測定より、フラレッド単独の蛍光強度から細胞内カルシウム濃度の推定式として、以下の式を得た。
但し、Iは測定蛍光強度、Icは対照時の蛍光強度。上記の式により、カルパイン活性化の開始時の細胞内カルシウム濃度を推定したところ、451nMと推定された。
4.考察
フラレッド、またはBoc-Leu-Met-CMACを単独で導入した細胞において、細胞内カルシウム濃度を上昇させ、カルパインの活性化を図っても、それぞれの変化は他方の測定結果に影響を及ぼさないことが本実験により確認された。すなわち、本システムによって、細胞内カルシウム濃度とカルパイン活性を細胞内において、相互に干渉することなく同時に測定できることが確認できた。
また、Boc-Leu-Met-CMACと特性の似た2波長型カルシウム指示薬であるフラ2をフラレッドと併用することにより、フラレッドの1波長測定データから細胞内カルシシウム濃度の推定式を求め得た。これによりカルパインが活性化される際の細胞内カルシウム濃度を推定することが可能となった。
Boc-Leu-Met-CMACを導入した心筋細胞では細胞内Ca濃度上昇にともなってその蛍光強度が上昇した。Boc-Leu-Met-CMACは本来非蛍光性の物質であるが、本研究に用いたBoc-Leu-Met-CMAC溶液はわずかの蛍光を有し、MACの混入が疑われた。MACは細胞内でチオール化されMAC-thio1となるとその蛍光が増強する。従って、Boc-Leu-Met-CMACが導入された心筋細胞の蛍光強度上昇の原因は、Boc-Leu-Met-CMACが何らかのプロテアーゼによる分解を受けてMACとなる、あるいは、MACがチオール化されMAC-thiolとなる、との二つの可能性がある。後者の可能性を除外するため、MACのみを導入した細胞で、灌流液をNa free液に置換し、明らかなカルシウム過負荷の状態にしたが、その蛍光強度は上昇しなかった。この事はMACのチオール化は細胞内カルシウム濃度の上昇に伴っては促進されない、すなわち、本実験における細胞内カルシウム濃度上昇直後のPM-2の信号増加はMACのチオール化によって引き起こされたものでないことを示している。この事からBoc-Leu-Met-CMACを導入した心筋細胞の細胞内カルシウム濃度上昇後に観察されたPM-2における蛍光強度の上昇は、Boc-Leu-Met-CMACが何らかのプロテアーゼによってMACに分解されたことによって起こったと結論できる。
この蛍光強度上昇が細胞内カルシウム濃度上昇が端緒となって起こっている事から、このプロテアーゼはカルシウム依存性プロテアーゼである可能性が高い。また、Boc-Leu-Met-CMACがカルパインの特異的な基質である事が示されている6)。従って本実験で観察されたPM-2における信号の増加は細胞内カルパインが活性化された事を示すと判断される。
心筋細胞内でカルパインの活性化に必要なカルシウム濃度を求めることは重要である。今回の実験では、フラレッドの蛍光は単波長で励起し、単波長で計測されたため、その値からカルシウム濃度の絶対値を求めることはできなかった。しかし、Na free液にてもたらされたカルシウム過負荷時のピークのフラレッドの蛍光強度が対照時の179%であったことに対し、カルパイン活性化時の値は137%と低いこと、この時の細胞形状は強度のカルシウム過負荷の存在を示唆しないことから、心筋細胞内でのカルパイン活性化に必要なカルシウム濃度はかなり低い値であると推測される。この値は、従来、in vitroにて測定されてきた活性化に必要なカルシウム濃度よりはるかに低く、細胞内におけるカルパインの活性化には未だ解明されていない部分がまだ多くあると思われる。
5.まとめ
本研究において作製したシステムにより、カルシウム依存性に活性化される細胞内蛋白分解酵素であるカルパインの活性化状況と、細胞内カルシウム濃度を、細胞内にて同時に測定することが可能となった。さらに、他のカルシウム指示薬を用いた校正を加えることにより、細胞内カルシウム濃度の絶対値の推定も可能であることが示し得た。