2016年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第30号

エクソソームセンシングによる低侵襲・簡易がん検査デバイスの創製

研究責任者

田畑 美幸

所属:東京医科歯科大学 生体材料工学研究所 バイオエレクトロニクス分野 特任助教

概要

1.はじめに

近年、国民医療費の増加や高齢社会進展に伴う課題の観点から、診療所や患者宅など患者の近くで高度な医療を提供できる検査・治療システムの創出が求められている。患者の病状を的確に診断するためには高精度で高感度にマーカーとなる生体物質を検出する技術を確立する必要がある。高齢化社会が進展し続けている我が国では、インフラ整備と併せて患者個人に適した高度な医療を提供できる検査・治療システムの創出が求められており、生体関連分子を高感度、ハイスループットに検出する小型・可搬型のバイオセンサの開発は、現場の要求を満たしたデバイス開発と言える。

エクソソームとは細胞外に放出される 100-200nm 程度の大きさを持つ脂質二重膜からなる小胞で細胞間情報伝達機構に関与していることが知られている。特に microRNA (miRNA)を内包し、その運搬体として作用していることからバイオマーカーとしての可能性が活発に研究されている(1-4)。miRNA は 18-25 塩基ほどの長さを持つ低分子核酸で、特に体内を循環している複数の分泌型 miRNA ファミリーについて、がん遺伝子を標的として作用していることが注目されている。現状の抗体を主とした免疫染色およびイムノアッセイによる解析は、煩雑で多段階のプロセスを要する生物学的手法に依存しており、専門の手技を必要としない新たながん診断プラットフォームを構築することが求められている。

そこで本研究では、電気化学的な計測手法を用 いて、がんを迅速に検査するためのがん細胞検出、核酸の増幅と検出を同時に行うデバイス開発に 取り組んだ。がんの早期発見に繋がる健診・検査 受診率を向上させるため、または、術後の予後管 理を定量的に行い再発などの病状を的確に判断 するためには、患者に負担や時間をかけることな く身近の診療所や在宅で、高精度・高感度にがん マーカーを検出できる本提案のような小型で簡易なバイオセンサを開発することが有効である と考えられる。

 

2.実験
2.1 シアル酸を補足する機能化ゲート表面の構築
計測には直径 0.5 mm の金電極を 10 チャンネル計測用に配置したプリント基板を用いた。電極部分を取り囲むように内径 8 mm のガラスリングをエポキシ樹脂で固定化し反応槽とした。前処理として金電極を1 M 塩酸および 1 M 水酸化ナトリウム溶液で洗浄後、フェニルボロン酸誘導体、リンカーとして疎水性のアルキル鎖を持つオレイル誘導体、親水性の PEG を持つオレイル誘導体の 3 種について、チオール基を介して金電極上に固定化した。

引き続き、 各化合物を固定化した電極上に調製した細胞懸濁液を 0 から 1 x 106 cells/mL になるように播種し、エレクトロメータを用いて 10 分間ずつ電位応答をモニタリングすることでシアル酸に由来する負電荷の検出を試みた。

 

2.2等温核酸増幅の電気的検出

増幅反応には、指数関数的に増幅する等温増幅法の PG-RCA ( Primer generation-rolling circle amplification)を用いた(5, 6)

予め、ターゲットとなる DNA に一部相補的配列と制限酵素により切断される配列を持つCircular probe を作製した。
30 µLのNE Buffer2、dNTPmix、BSA、Circular DNA、Phi29 DNA polymerase、Nb.BbvCl、Target DNA、Water、SYBR Green I、Rox からなる混合溶液を37oC に保ち、2 時間増幅反応を行った。

 

3.結果と考察

がん診断デバイス開発を目指す本研究で取り組むべき課題は、エクソソーム検出を行うための機能化ゲート表面の構築、核酸の電気的検出法の確立である。

 

3.1シアル酸を補足する機能化ゲート表面の構築

本電位計測方式は固-液界面電位変化を直接検出するものであるため、バイオセンサ表面の機能化および最適化は、信号/雑音(S/N)比の大きな測定を実現する上で欠かせない。ターゲットとなるがん細胞を高感度に検出する一方で、ノイズ信号となるような妨害成分の非特異的吸着を抑制する表面を最適化する必要がある。細胞膜表面のシアル酸発現量とがんや転移との相関は知られているものの、その測定にはラベル化が必要である場合や細胞工学的手法が用いられる場合が多く、ラベル化剤を必要としない本方式は、操作の簡素化やコスト削減につながる。

細胞表面の糖鎖末端に存在する糖の一種(酸性糖)であるシアル酸は、ノイラミン酸のアミノ基やヒドロキシ基が置換された物質の総称であり、その密度や分布が疾病、発生、分化と相関する(7-9)。がん細胞表面ではシアル酸が豊富な糖タンパク質を発現しているため、がんのマーカーとして盛んに研究がなされている。ターゲットであるヒト乳腺がん細胞の MDA-MB-231(MM231)および正常ヒト乳腺細胞の MCF-10A に関して、細胞そのものと放出されたエクソソーム両方のゼータ電位を計測し、その結果を表1に示した。細胞およびエクソソームどちらにおいてもヒト乳腺がん細胞である MM231 に関してより負の電荷を有していることがわかり、正常乳腺細胞との違いは 1 mV 程度であることが明らかとなった。また、107 cells あたりの細胞表面のシアル酸発現量を定量したところMM231 では 5.12 nmol/107 cells という値が得られたことに対して MCF10A では検出に有効な数字が得られなかった。これらの結果から両者のシアル酸発現量の違いがゼータ電位の違いをもたらしていることを見出した。

(注:表/PDFに記載)
表1  エクソソームと由来細胞のゼータ電位

(注:図a/PDFに記載)

(注:図b/PDFに記載)

(注:図c/PDFに記載)

シアル酸由来の負電荷により変化する界面電位、すなわちがん組織の有無を、電位差として判断するため電極に固定化するプローブ分子の検討を行った。図1a) とb) には用いたAu パターン化電極と、構築した機能性界面の例としてフェニルボロン酸(PBA)誘導体を固定化したイメージを示した(C6_PBA)。他に細胞架橋剤として知られる脂質二分子膜にアンカーリングするオレイル基を有しておりリンカーとして疎水性のアルキル鎖を持つ場合(C6_Oleyl)と親水性の PEG を持つ場合(PEG_Oleyl)、コントロールとして修飾していない金電極(bare)の 4 種の界面について、MM231 および MCF10A との相互作用を電位計測にて確認した。測定には 1 mM Bis-tris-propane (BTP) buffer (pH =7.2)を用いて細胞懸濁液を調製し、連続して BTP buffer 10 min、0 cells/mL in BTP buffer 10 min、1 x 104 cells/mL in BTP buffer 10 min、1 x 105 cells/mL in BTP buffer 10 min 、 1 x 106 cells/mL in BTP buffer 10 min の順で電位モニタリングし、その結果を図2に示した。どちらの細胞の場合においても未修飾金電極の場合はドリフトに大きく影響された挙動を示した。また誘導体を固定化した場合においても、オレイル基を固定化した界面は細胞に対して応答を示さなかった。

(注:グラフa/PDFに記載)

(注:グラフb/PDFに記載)

その一方で、PBA 誘導体を固定化した場合は細胞数に依存した挙動を示したため、図3にその詳細を示した。表1からもわかるように、両細胞とも負の表面電荷を有するため細胞数に応じて電位が負の方向へシフトしてることが分かるが、MM231 では負への電位シフトが顕著に認められた。

(注:グラフa/PDFに記載)

(注:グラフb/PDFに記載)

これらの結果から、MM231 においてMCF10Aより多く存在しているシアル酸由来の負電荷を検出可能であることが分かった。この評価基板を用いて検出限界、ダイナミックレンジ等のバイオセンサとしての機能を評価することが可能だと考える。

がん細胞の検出の可能性を見出した一方でエクソソーム計測を行うための電極の作製を行っている。本電位計測方式の一つの利点として、電位計測結果は電極面積に依存しないことが挙げられる。エクソソームまたは細胞と同程度の大きさを有するウェル型のセンサを微細加工技術により集積化し、将来的にはターゲットをエクソソームに絞り、シングルエクソソームのデジタルカウンティングによりエクソソームの定量化を達成することを目標としている。

 

3.2 等温核酸増幅の電気的検出

核酸増幅法は分子生物学や遺伝子検査等において重要な技術であり、特に PCR(Polymerase chain reaction)法は指数関数的な増幅および蛍光ラベルに基づく高感度検出法であるため最も一般的な手法として広く用いられている。しかしながら、PCR は正確な温度サイクル制御装置および蛍光ラベリングに基づく光学的な検出装置を必要とするため小型化に不利であり、また専門の操作技術を必要とすることが課題だとされている。そこで微細加工技術や半導体技術との親和性の観点から電気的/電気化学的な核酸検出法も活発に研究がなされており、PCR と組み合わせたトランジスタ型 DNA シーケンサが既に市販されている(10)。ポリメラーゼ伸長反応において一分子のヌクレオチドが結合するごとにピロリン酸と水素イオンが放出されるため、このトランジスタ型デバイスは特に水素イオンを検出する方式を採用している。しかしPCR 法は正確な温度サイクル制御が必要なため半導体の電気特性を著しく変化させるという課題がある。そこで、等温核酸増幅法であるPG-RCAと金属酸化物電極を組み合わせることで、水素イオンを指標とした核酸増幅をリアルタイムにモニタリングするデバイスの開発を試みた。
増幅の指標となる水素イオンの検出には典型的なpH 応答性材料であるイリジウムオキサイド(IrOx)を用いた。熱酸化法(12)により作製したIr/IrOx 電極のpH 応答はNernst 式(式1)に従う。

(注:数式1/PDFに記載)

ここで、E は電極電位、E0 は標準電極電位、R は気体定数、T は温度、z は移動電子数、F はファラデー定数、a は活量を示す。
作製したIr/IrOx 電極の感度は-57 mV/pHであり、理論値-59.2 mV/pH(25oC)に近い値を示し、優れたpH 応答性を有していることが明らかになった。

(注:図/PDFに記載)

増幅反応に熱サイクルを用いる系であるPCR のDNA 合成酵素には72℃ に高い活性を持つTaqDNA polymerase が標準的に用いられるが、等温増幅反応であるPG-RCA では室温に近い30℃ 付近で増幅を行う鎖置換型phi 29 DNA polymerase が用いられていることが特徴である。サーマルサイクラーが不要である点で検出デバイスの小型化に有効である。また、Linear rolling circle amplification が一次関数的な増幅であるのに対して、DNA 制限酵素の働きにより新たに複数のprimer が生じ、指数関数的な増幅反応が進行するためセンシングに有利な増幅法である。

増幅の進行を確認する従来法として、インターカレーターであるSYBR Green を用いた蛍光リアルタイムモニタリングを行った結果を図6に示した。その増幅速度はtarget DNA の濃度に依存して増加することが確認された。一方でtarget DNAを含まないNegative control の系では、顕著な増幅は確認されなかった。

(注:図/PDFに記載)

引き続き、PG-RCA の電気的モニタリングを行った。参照電極にAg/AgCl(0.3 mm)、作用電極にはIr/IrOx(0.3 mm)を用い、内径1 mm のガラスリングに設置し、増幅反応の際に放出されるプロトンの検出を試みた結果を図7に示した。このpH 変化は測定した電位計測結果から求められる。target DNA の濃度を0 (Negative control), 10, 100,1000 pM と設定した。ポイントオブケア検査でのデバイス使用を視野に入れた場合、速い核酸増幅反応と組み合わせることが好ましい。30 分以内の早い段階で電極電位変化の振る舞いに大きな違いがみられていることがわかる。この増幅曲線の立ち上がりの速さの違いはtarget DNA濃度に依存する傾向が得られ、核酸増幅時のプロトン生成に由来するpH 変化により生じたことが示された。

(注:図/PDFに記載)

また、電位モニタリグ後の反応溶液を用いてゲル電気泳動により増幅産物の確認を行ったところ、図8に示したようにtarget DNA を含む3 つの系において、鎖置換型の増幅であるRCA 系の特徴であるスメアなバンドが確認された。

(注:図/PDFに記載)

既知の濃度の核酸を用いて予め検量線を作成することで、未知の濃度の核酸を定量することも可能となる。感染症検査やmiRNA 検出によるがん検査に有効なデバイスとなることが期待される。

以上のことより、Ir/IrOx 電極を用いて低コストでラベルフリーに核酸増幅をモニタリングできることが示された。ワイヤ型だけでなくIrOx の薄膜化など形状の加工も可能であり、この検出原理の発展が今後の未来型医療の一端を担う手段となるだろう。

 

まとめ

エクソソームの膜に存在する膜蛋白質などは由来細胞膜特性に強く相関することが明らかにされている。しかし、これまでにエクソソーム自体をバイオマーカーとして検出する報 告はすべて ELISA  法などの蛍光ラベリングプローブを用いており(12)、小型・簡便な検出デバイスは未だ報告されていない。そのため将来的 にエクソソームおよび miRNA 両方によるがん 診断を、ラベルフリーで高感度に行うバイオセ ンサを開発することは、エレクトロニクスと医 療・生命科学分野の融合の促進に大きく貢献す ると考える。また、ヒトの miRNA は現在 2000 種類ほど発見されており、その発現異常がヒトの様々な疾患の発症に関与することが確認さ れ急速に注目を浴びるようになり、網羅的な解 析が活発に行われている。中でもがんとの相関 は詳細に調べられており、血液などの体液から 採取できることから、がんのマーカーとしての 臨床応用が期待されている。miRNA の運搬体と してのエクソソーム自体も、その膜に由来細胞 の情報を反映しているため、疾病マーカーとし ての可能性が期待されており、詳細な分子機構 の解明が行われつつある。一方で、がんマーカ ーの検出によるがん検査の現状は、擬陽性・擬 陰性が多いため、未だ理想的な検査とはいえず、より高感度、高精度な検査を可能にするセンシングデバイスが求められている。先に述べたように、現状の抗体を主とした免疫染色およびイムノアッセイによる解析は、煩雑で多段階のプロセスを要する古典的な生物学的手法に依拠しており、高品質、経済的な未来型医療をより身近な場所で提供できるとは言い難い。がんマーカーとなる可能性をもつ miRNA 及びエクソソームの検出は、がんの早期発見のためのスクリーニングテスト、あるいは予後の管理に有用な方法と考える。

1950 年代には在宅死が 8 割を越えていたが、現在は 9 割以上が病院や診療所で亡くなっている。高齢者の割合がより増える 2038 年には、170 万人の方が亡くなることが想定されており、これは病院のキャパシティーをはるかに超え、数十万人の人を在宅および介護施設で看取らなければいけなくなる状況の到来が予測され ている。在宅でも医療・ケアの質を維持するために、小型の診断・治療機器を開発し、高度な医療をより身近に提供する環境を整える必要 がある。そのためには工学と医学・生命科学がいっそう密に連携し、新たな融合分野を開拓す ることが期待されている。エレクトロニクスと生命科学分野の具体的な融合デバイスである本研究のバイオセンサはこの方向と一致して おり、生命科学イノベーションの根幹技術とし て貢献すると期待される。