2016年[ 科学教育振興助成 ] 成果報告

アダンソンハエトリグモ卵を用いた胚発生過程の研究

実施担当者

臼井 俊哉

所属:愛知県立名古屋南高等学校 教諭

概要

1 はじめに
 名古屋南高校 生物・化学部では、平成22年度からクモ卵を用いた胚発生過程の研究を行っている。平成24年度後半からは,1952年にスウェーデンのホルムが発表した"EXPERIMENTELLE UNTERSUCHUNGEN UBER DIE ENTWICKLUNG UND ENTWICKLUNGSPHYSIOLOGIE DES SPINNENEMBRYOS"という論文(以下“論文”)を参考にしながら、そこに記されている方法を用いて重複胚を人為的に作出することにより、クモ卵を用いて胚発生のメカニズムを確認することを目標に研究を続けてきた。今年度は胚発生過程において、重複胚がシグナル分子によって誘導されることの確認を主な目標にしている。


2 研究内容
2-1 重複胚とは
 クモ卵は無脊椎動物の中では珍しい調節卵であり、自然界では稀に重複胚が生まれることが知られている。重複胚とは、一つの胚の中に一部位あるいは全ての部位が複数存在している胚のことである。
 オオヒメグモでは胚盤中央部に現れたクムルス内部の細胞がシグナル分子Dppを胚盤の表層細胞に与え、シグナル分子を受け取った表層細胞は背部になり、胚に背腹軸が形成されることが知られている(図1・2参照)。したがって、ドナー卵のクムルスをホスト卵に移植することによって、ホスト卵では2つの背腹軸が形成され重複胚となる(図3)。
 ホルムの“論文”ではイナズマクサグモの卵を用いている。しかし、本実験にはハエトリグモとオオヒメグモの卵を使用した。卵を容器に固定後シリコンオイルで満たし、卵内が観察しやすいようにした。胚盤から分離したクムルスをマイクロマニピュレータに取り付けたガラス針(先端の直径0.02~0.03mm)でドナー卵から取り出し、それをホスト卵に注入して観察した。

(注:図/PDFに記載)

2-2 今年度の取り組み
 クモ卵の胚発生過程において、クムルス内部の細胞はシグナル分子Dppを生成しながら胚の赤道面に向かって移動する。また、Dppは分化の方向が決定していない細胞に働きかけ、その細胞を背へと誘導し、胚に背腹軸が形成される。ドナー卵のクムルスをホスト卵へ移植すると、ホスト卵内で発生途中の細胞が誘導され、2つの背腹軸が形成された胚(重複胚)ができる。アダンソンハエトリグモ卵を用いた実験では、かなりの確率で重複胚が作出できるようになったが、作出された重複胚が誘導されたものか、あるいは移植した細胞が増殖したものかは確認できない。そこで、オオヒメグモ卵内にアダンソンハエトリグモ卵のクムルスを移植し、作出された重複胚中の2つの胚がどちらもオオヒメグモであることを確かめることで、シグナル分子によって誘導されたことを確認しようというのが今日指している実験である。


3 温度差による発生速度の違いを調べる実験
 このようなオオヒメグモ卵を用いた実験を行うためには、オオヒメグモ卵で重複胚を作出しなければならない。本校生物・化学部では平成24年に、オオヒメグモ卵計209個に同じオオヒメグモのクムルスを移植する実験を行ったところ1つも重複胚にならなかった。その原因は移植技術の未熟さによることもあるが、アダンソンハエトリグモとは何かが異なる発生過程をとっているのではないか、というのが本研究を指導していただいている小田先生(JT生命誌研究館)の指摘であった。
 そこで、今年度はオオヒメグモの発生過程を詳しく調べることから始めることにした。アダンソンハエトリグモの胚発生に比べ、オオヒメグモ胚ではより複雑な発生過程を取っているように見える。そこで、発生段階のステージの異なるクモ卵にクムルスを移植することによって重複胚が作出できるのではないかと考えた。
 胚発生の速さが温度によって異なることはこれまでの経験から分かっていた。そこで、温度と胚発生の速さを詳しく調べることから始めることにした。採取したオオヒメグモ卵を異なる温度で胚発生させることによって、発生段階のステージの異なるクモ卵へのクムルス移植を可能にするためである。

3-1 実験方法
1)胚発生過程の観察
 オオヒメグモ卵を、直径約4cmのディスポシャーレ中で両面テープに固定し、以下の温度に保ってその発生過程を観察した。
 冷蔵庫の野菜室=5℃,暗室=17℃,インキュベータ=15℃,20℃,22℃,25℃,28℃
暗室17℃は、顕微鏡撮影装隧を用いて20分ごとに撮影し、その他の温度については、実体顕微鏡の接眼レンズにデジタルカメラをくつつけて1日に1回か2回撮影した。
撮影した画像を、継続的に撮影された暗室17℃の画像と比較することによって、発生段階を決定し、それぞれの撮影時刻とともに記録した。

2)発生段階の数値化
発生段階を数値化するために、以下のような特徴的な発生段階をそれぞれ基準の数値として、15段階に分け数値化することにした。

(注:図/PDFに記載)

3-2 結果
 横軸に産卵後の日数、縦軸に発生段階をとり、グラフ化したものを下に示す。温度と発生の速さには相関があり、15℃に比べて28℃では約3倍速く発生が進むことがわかった。また、5℃ではまったく発生が進まなかった。オオヒメグモ卵の発生において、発生が進む温度の上限と下限がありそうであるが、そこまでは特定できなかった。

(注:グラフ/PDFに記載)


4 クムルスの移植実験
4-1 実験内容
 クムルス移植により重複胚を作出する実験を行うのは、上記の発生段階では2~4の胚である。前記3の実験によって、オオヒメグモ卵の発生において環境温度に2~3℃の差を設けると発生段階2~4の胚には約半日の差が生じることがわかった。そこで、今年度は採取したオオヒメグモ卵を、ドナー卵は22℃、ホスト卵は20℃のインキュベータに入れ、22℃で発生させた胚において胚盤からクムルスが離れて移動し始めたところでクムルスを吸引し、20℃に保ちまだクムルスが確認できないホスト卵に移植するという実験を試みた。

4-2 実験結果
 今年度の実験では、上記のようなタイミングで計13個のオオヒメグモ卵でクムルスの移植実験を行った。その結果は、比較的うまく移植できたと思われたのにもかかわらず、13個の胚全部が重複胚にはならず、移植したすべての胚が発生途中で死んでしまった。


5 まとめ
5-1 胚発生と温度の関係
 オオヒメグモ卵における胚発生速度と温度の関係については、5℃と15℃の間に発生が進む下限の温度が、また28℃の少し上に上限の温度があるものと思われる。この限界温度や温度と発生速度の関係を見つけようと実験を継続中である。

5-2 クムルス移植による「誘導」の確認
 アダンソンハエトリグモ卵におけるクムルス移植実験では、重複胚の作出方法がほぼ確立できたが、オオヒメグモ卵ではなかなか上手くいかない。アダンソンハエトリグモ卵にくらべてオオヒメグモ卵はその直径が半分くらいである。そのため、アダンソンハエトリグモ卵で使用しているガラス針では先端経が太すぎて移植時に細胞を傷つけている可能性がある。そのため移植した卵が途中で死んでしまうのではないかと考えている。今後は、アダンソンハエトリグモ卵のクムルスをオオヒメグモ卵に移植する実験に向けて、その技術の確立を目指して実験を継続していきたい。