1992年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第06号

がん温熱療法における非侵襲的患部温度計測法の研究

研究責任者

富川 義朗

所属:山形大学 工学部 電気工学科 教授

共同研究者

足立 和成

所属:山形大学 工学部 電気工学科  講師

共同研究者

山田 博章

所属:日本大学 生産工学部

概要

1.まえがき
近年,癌の新しい治療法としてハイパーサーミアが注目されている。この治療法は,癌の病巣を加熱することにより癌細胞を破壊するものである。現在,この治療法における加熱部の温度計測は熱電対を直接体内に挿入する方法がとられている。これは,患者にとって耐え難い苦痛をともなう。このため,非侵襲的な体内の温度計測への期待は大きく,多くの機関で様々な計測方法が研究されてきた(1)一(4)。この温度計測においては,温度分解能が少なくとも1℃以下で2次元の温度分布像の得られることが要求されているが,なかなか実用には至っていないようである。
このような背景から,筆者らは現在使用されている医療用超音波診断装置に組み込みが可能な方法を検討した。すなわち,信号解析理論に基ずくもので,式(1)に示す被検体の内部伝達関数を測定することにより,温度分解能△T=1℃の実現を試みた。この伝達関数の測定においては,温度に依存した変化の比較的大きいと考えられるピークに注目する。すなわち,雑音や誤差が入り込んでも,温度による変化が大きいために△Tを小さくすることが可能となる。
2.原理
Fig.1に示す伝達系の伝達関数H(ω)と入力FF(ω),出力FB(ω)との関係は周波数領域に関して
FB(ω)=FF(ω)・H(ω)
で与えられる。上式を変形し,FF*(ω)を分母,分子に乗ずると伝達関数は式(1)のように,系の入力のパワースペクトラムと,入出力間のクロスパワースペクトラムの比として与えられる(5)。
すなわち,このような考えのもとにA一モード像の任意の層からの2つの反射波(表面と底面からの)をサンプリングすると,式(1)'が得られるので他の伝搬経路に影響されない被検体内の任意層の伝達特性を得ることができる。
但しk=(TwG・RGw・TGw/RwG)である(Fig.4参照)。ここで,伝達関数H'(ω)は伝達系の状態に依存している。また,伝達系の温度変化による減衰量の変化が,伝達関数H'(ω)に影響を及ぼす。すなわち,被検体の内部伝達関数を測定し,伝達系の減衰特性を示すピークに着目することにより,非侵襲的な内部温度計測が可能となる。
本文では,2次元の温度分布像を得るための基礎的実験も行なった。
3.測定
測定は,Fig.2に示す測定系で行なった。すなわち,被検体の上面から超音波パルスを送信し,被検体の上面と下面からの反射波ff,fbをゲートにより抽出し,シグナルアナライザーで平均化回数N=100として解析を行なった。実際に測定されたエコーをFig.3に示す。ここでFig.3において底面からの反射波fbは,Fig.4のように表わすことができるので,ff,fbより式(1)の被検体の内部伝達関数は,Fig.5のように求めることができる。温度を上昇させると,当然反射波全体が時間的に短くなるのでff,fbにゲートを合致させる必要がある。
尚,測定系と測定方法の確認の目的も含め,下記に述べる各測定を行なった。測定には,中心周波数5MHzの探触子を使用した。
(1)測定系と測定法の確認:被測定物理量が被検体の温度であり,測定系に誤りのないことを確認する実験(以下の測定のための予備実験)
測定は,被検体を熱容量の大きい真鍮(φ40mm×50mmの円柱)に置き換え行なった。測定範囲は△T=5℃とし,30~45℃の範囲とした。但し,ゲートタイムは2μsecである。また,探触子の励振波形に温度による変化のないことを確認するため,各測定点における励振波形の周波数解析も同時に行なった。
Fig.6に得られた内部伝達関数を示す。Fig.7は内部伝達関数の温度に対するピーク周波数値および,振幅の特性である。得られた内部伝達関数には,温度上昇にともない振幅特性のピーク値が低下するという傾向がみられた。このとき,ピーク周波数値に変化はみられなかった。掲載は省略するが,探触子の励振波形に温度による変化はみられなかった。
また,特性でのピークは主に5MHz付近に1個あるだけである。さらに,真鍮の減衰特性は,温度の上昇と共に大きくなる傾向がある。これは,真鍮の音響特性に合致している。すなわち,この測定方法により測定した物理量は真に温度であり,測定系に誤りのないことが確認された。
(2)寒天の温度測定(△T=5℃):寒天の内部伝達関数の大まかな温度特性を確認する実験
測定は,Fig.2に示す測定系で被検体をアジ化塩入り,グラファイト無しの寒天とし,30~45℃の範囲で行なった。ゲートタイムは3μsecである。これは,真鍮に比べて寒天からの反射波が時間的に長いためである。
Fig.8は,得られた内部伝達関数の内5MHz付近を抽出した波形である。Fig.9に内部伝達関数の温度に対するピーク周波数値および,振幅の特性を示す。得られた内部伝達関数は,(1)よりも顕著な傾向を示した。すなわち,温度上昇と共に振幅特性が低下し,ピーク周波数値が低周波数側にシフトする傾向が確認された。
(3)寒天の温度測定(△T=1℃):温度分解能向上の確認の実験。実験②より得られた温度特性にそくしているか同時に確認。
測定は,実験(2)と同じ方法で行ない,32~37℃の範囲で行なった。ゲートタイムは3μsecである。
Fig.10に得られた内部伝達関数(5MHz付近を抽出した図)を示す。一方内部伝達関数の温度に対するピーク周波数値および,振幅の特性をFig.11に示す。(2)と同様に,温度上昇と共にピーク周波数が,低域側にシフトするという傾向が得られた。しかし,振幅特性が温度上昇と共に一方向に低下するという傾向はみられなかった。すなわち,内部伝達関数のピーク周波数値に注目することにより,被検体内部の温度を分解能△T=1℃で測定できることが確認できた。
(4)寒天の温度測定(△T=5℃):生体の音響特性に似たファントムの内部伝達関数の大まかな温度特性を確認する実験。
測定は,Fig,2に示す測定系で被検体をグラファイト重量比約4%入りの寒天とし,30~45℃の範囲で行なった。ゲートタイムは3μsecである。
得られた内部伝達関数(5MHz付近を抽出)をFig.12に示す。内部伝達関数の温度に対するピーク周波数値および,振幅の特性をFig.13に示す。得られた内部伝達関数は,グラファイト無しの寒天と逆の傾向を示した。すなわち,温度の上昇と共に振幅特性は高くなり,ピーク周波数値は高い周波数域にシフトした。
(5)寒天の温度測定(△T=1℃):温度分解能向上の確認の実験。実験(4)より得られた温度特性にそくしているか同時に確認。
測定は,実験(2)と同じ方法で行ない,30~34℃の範囲で行なった。ゲートタイムは3μsecである。
Fig.14,Fig.15は得られた内部伝達関数(5MHz付近を抽出した図)ならびにピーク周波数値および,振幅の特性である。ピーク周波数値については(4)と同様,温度の上昇と共に高い周波数へのシフトがみられた。一方,振幅特性については一定の変化は示さなかった。このことより,(2)~(3)の結果と同様に内部伝達関数のピーク周波数値に注目すると,被検体内部の温度を分解能△T=1℃で測定できることが確認できた。
(6)亜生体の温度測定(△T=1℃):亜生体の内部伝達関数の計測。
ファントムを牛の肝臓として,33~38℃の範囲で測定を行なった。ゲートタイムは3μsecである。また,ファントムの変質を防ぐため速やかに測定を行なった。
Fig.16,Fig.17はその結果である。ピーク周波数値,振幅の変化はともに(4)と同様の傾向を示した。すなわち,亜生体においても温度分解能△T=1℃で計測可能であることが確認された。
(7)温度分布の計測(△T=5℃):温度分布像を得るための基礎的実験。
ファントムは(4)と同じものを用い,ゲートをFig.18に示す様な位置に設定し,30℃~45℃まで測定を行なった。Fig.18におけるゲートサンプリング法により,G1,G2間の温度が計測される。この方法を既存の医療用超音波診断装置に応用することにより,2次元の温度分布像を得ることが可能となる。ここにG1,G2及び,G1,G2間はすべて2μsecである。これは,空間分解能が3mmであることを意味する。
Fig.19に得られた内部伝達関数(5MHz付近を抽出した図),Fig.20に内部伝達関数の温度に対するピーク周波数値および,振幅の特性を示す。温度による変化の傾向は,(4)とよく合致している。すなわち,Fig.18に示すゲートサンプリング法により,被検体内の微小領域の温度計測も可能であることを確認した。
(8)温度分布の計測(△T=1℃):(7)の計測法における,温度分解能の精密化。
測定は,(7)と同様の方法で33℃~37℃まで1℃毎に行なった。
Fig.21に得られた内部伝達関数(5MHz付近を抽出した図),Fig.22に内部伝達関数のピーク周波数値および,振幅の特性を示す。ピーク周波数値は,温度の変化に対してあまり変化しなかった。この原因は,ゲートの位置が(7)と完全に一致していないためであると考えられる。しかし,振幅値は(8)と同様の傾向を示した。
以上の結果を考えると,本方法は既存の超音波医療診断装置とのリンクが容易であり,温度分解能1℃で2次元の温度分布像を得ることが可能である。
4.まとめ
以上の実験より,次のような結論が得られる。
(1)本報告で述べたような内部伝達関数の測定により探触一子,被検体までの伝搬経路の温度特性を取り除いた形で被検体の温度特性を測定できる(2x3)。
(2)温度特性の目的領域の伝達特性,特にピーク周波数値を観察することで,温度分解能△T=1℃の温度計測が可能である。これは,内部伝達関数の温度に依存する変化が大きいため,測定量に入り込む様々な誤差が無視できたためであると考えられる。
(3)各測定は,後に行った再実験においても同様の傾向が得られ,再現性のあることが確認された。
(4)2種類の寒天の測定はすべて同じ方法,パラメータで行ったが△T=5℃の場合と,△T=1℃の場合で測定値が必ずしも一致しなかった。これは,測定系(主にゲートの位置)に起因するものと考えられる。しかし,重要な点は温度変化にともなう内部伝達関数の変化の傾向が一致しており,温度分解能△T=1℃が実現可能であるということである。
(5)Fig.18に示すサンプリング法により,2次元の温度分布像を得ることが可能である。すなわち,上述の各測定を通して当初の目的が実現可能であることが確認された。